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入れ歯を諦めない
技工士が開発

入れ歯一筋25年。
常に最良の入れ歯を探求して
開発に情熱を注いできた技工士、近藤太。
逃げない、諦めない道を歩み続けています。

開発者(近藤太)の想い

「入れ歯道」KGKデンチャーへの道

患者様のために治るまで「諦めない」

全症例でご満足いただく結果を出してきて、今まで一回も外したことない、それを10年以上やっています。
苦労はしますが、何のためにやっているのか?患者さんのためにやっているので、逃げません。
医療は、諦めちゃいけないんです。
医療人が諦めたらどうするんですか?
その患者さんは、出会った医療従事者にしか頼れないのですよ。

「諦めない」プロセスは1999年、神奈川県相模原市の近藤義歯研究所で産声を上げました。
近藤義歯研究所の代表、近藤太にお話ししていただきましょう。

1999年 開業

近藤義歯研究所のロゴは「枠を超えたい」という願いを込めて、歯の形をイメージした四角からはみ出ています。
技工の世界から提案して、歯科医師と患者さんと技工士が手を携え、もっともっといい入れ歯を作りたい。
また、技工だけでなく、広く世界にも目を向けていきたい。
25年前、この事務所のちゃぶ台でお茶を飲みながら話していたときに出来たのがこのマークです。

2004年 スタディグループ立ち上げ

閉鎖的だったスタディグループの常識を打ち破る「NFKデンチャースタディーグループ」を立ち上げ、朝まで生入れ歯ディスカッションを重ねました。

NFK誕生秘話

NFKは、2004年6月7日に発足しました。
各種セミナーにメンバーが一緒に参加し、これが楽しいうえ大いに有意義であったことが発足のきっかけです。
「技工士としてもっと知識を身に付け、技術を高めたい」という志を同じくする4名のメンバーが集まり、定期的に勉強してディスカッションを繰り返しました。
これが非常に効果的で、一人で勉強するのに比べ、3倍から5倍くらいのスピードで、場合によっては何年分もの技術を短期間で習得できることに気付きました。
「これは面白い!」と、定期的に勉強会を行い、お互いに技術を高め合うことをメンバー4人で誓い合ったのです。

2007年 咬合器を市販化

入れ歯製作に当たり、作業の効率化はマストです。
自分で使いやすい咬合器(こうごうき:人間の口と非常に近い動きをする模型を載せるもの)の試作品を作っていたら、NFKのメンバーの1人(津行社長)が「これ、おもしろい。この機械、山八歯材工業の遠山社長に市販化の話をしないか?お前、山八知ってるだろう、社長に会わせてやるよ」という話になりました。
名古屋に行って会い、咬合器を認めてくれ、試作から市販化に向けていくことになりました。
その頃は毎日、夜中1時2時まで仕事をしていた日々でした。
社会人になってから新幹線に一度も乗ったことない・・・そのくらいラボ(技工所)の中で10何年もずっと仕事をしていました。
山八歯材工業の遠山社長と紹介してくれた津行社長と3人で食事をした際、社長の中国行きに直談判して講師として一緒に行かせてもらいました。
中国の宿泊先で、遠山社長の部屋に行ってベッドに座りながら会社の歴史の話をしてくれ、僕も楽しく聞いて・・・気に入ってもらえたんでしょうね。
昭和33年に、風呂敷に人工歯を入れて担いで愛知県から上野、上野から夜行列車に乗って青森秋田の方までぐるっと一周したそうです。
上野から東北行きの電車に乗った時点で運賃がなくなったけど、この人工歯(じんこうし:入れ歯を作る時に使う歯)を全部売れば、お金になる。
おそらく葉書を送った歯医者を一軒一軒訪ねて、人工歯を売って帰ってきたのでしょう。
「帰りにはこんなに現金が手に入るんだよ、近藤さん。僕は昭和33年から人工歯を自分で作って、自分で売ったんだ。」「すごいですね~」と楽しく時間は過ぎていきました。
その話をしていた時は、遠山社長が入れ歯だというと事に気付いていながらも、入れ歯を作るオファーが来るとは思わず。

2009年 人工歯メーカーの社長が「あなたの入れ歯が一番噛める」

前出の日本一の人工歯メーカー「山八歯材工業※」の遠山社長の入れ歯を作った時のエピソードです。
僕にとって遠山社長はお父さんのような存在で「ヤマハチは人工歯の売り上げ日本一なんだ」といつも自慢して僕に語ってくれていました。
その社長から入れ歯製作の依頼が。
僕からみれば遠山社長は「総入れ歯の患者さん」なので、依頼されたからには一番いい人工歯を入れて作ろうと担当の歯科医師と試行錯誤しました。
「近藤さんの一番いいもの」というオーダーをいただき製作、紹介してくれた方が「社長、喜んでいたぞ!メチャメチャ噛めるって。」と教えてくれました。
「大学の教授にも作ってもらったし、有名な技工士さんにも作ってもらった。どれよりもあなたの入れ歯が一番噛める。」と。

しかし、僕が選んだ人工歯は「ヘレウスクルツァー」というメーカーのものでした。
僕は患者さんにいいものを提供したい、山八の人工歯である必要はないし、結果が出ているもので提供するのがよい。
つないでくれた方が「おめえは度胸があるのぉ、遠山公男(とうやまきみお:初代社長)を君は誰だと思っているんだ。あの人はな、車メーカーでいえばトヨタの社長や。トヨタの社長を日産に乗せているんだぞ、お前は。なにやっとんじゃ!」と。
そこからはその話を聞いて俺もやりすぎたなと反省しました。(笑)

※生産量は年間1億歯超、種類では2万6000種の人工歯を生産、世界第2位の生産量
https://yamahachi-dental.co.jp/about/

2010年 入れ歯相談会スタート

ひまわり歯科相模原さんで、初めての入れ歯相談会を催しました。
患者さん向けに「入れ歯セミナー」を、その後「入れ歯相談会」をする予定でしたが、本当に困っている患者さんばかりなので入ってきた瞬間に相談を始めます。
そんな患者さんが20人も集まるとセミナーを始めようにもセミナーがスタートできない。
こちらはスタッフ3人と院長と僕だけで会場の案内人も受付もない・・・結果、1人としか話せませんでした。
入れ歯相談会の方法も改善に改善を重ね今に至っています。

2005年 社屋引っ越し1回目

2014年 入れ歯を作るオリジナルテンプレート「コンプシステム」開発(特許取得済み)

近藤義歯研究所には、人工歯をどの角度でつけるのかなど3Dの関係を合わせる他社が真似できないオリジナルの「コンプシステム」があります。
2006~2014年の間に、バージョンを3つ4つ作って、私が開発しました。
普通にやったら、3,000~4,000万円掛かるところを7~800万円のコストで押さえました。

2024年8月 新社屋引っ越し社員40名取引先374医院

2025年 持続可能な入れ歯のために

2年連続で相模原市の職業EXPO(中高生向け)に参加

技工士学校(横浜歯科医療専門学校・東北歯科技工専門学校)講師

代表のインタビューは下記のサイトでもご覧になれます。
本サイトインタビュー
三宅歯科医院入れ歯サイトでのインタビュー

BPSを凌駕するKGKデンチャー

2025年現在、BPSの手法をベースに発展してきたKGKデンチャーは改良に改良を重ねたため本家を凌駕する別物となっています。
以下は2007年時点での情報です。
参考までにその時の情報も併せて掲載いたします。

BPSライセンス(世界的な入れ歯基準)認定をゲットし、リヒテンシュタイン公国にて開催された「ワールドBPSデンチャーコンテスト(※)2007」。
世界最高峰の可撤式義歯エキスパートと争うべく、世界中から2,262名もの方がコンテストに参加しました。
近藤義歯研究所からは、限定スペシャルカレンダーに掲載されることを目標にコンテストに参加した近藤太・竹内真人が入賞。
世界の12名に選ばれました。
2名が同じ技工所から選ばれるのは極めて珍しいことです。
当研究所はこの技術を臨床の義歯製作現場に活かしていきます。

(※)入れ歯のワールドカップにあたる大会で、2年に1回、ヨーロッパで行われています。
【インターナショナルライセンス No.005054】イボクラール ビバデント本社(リヒテンシュタイン公国シャーン市)より、国際認定歯科技工所としてBPSシステムを使用した義歯製作を正式に認定されています。